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「古事記上巻」は「日本の神話」 これは二五六の神様の物語。 日本の神さんと 軽く鎖国を目指してみる。
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北半球では「北極星」を基準に地図が描かれる。
多くの地域で「死の国」は日の沈む方角とされて来た。

さて日本
はるか縄文の頃より 日の沈む向こうに 進んだくにがあると知られる。
米の技術 鉄の技術 制度制服 様々もたらした国が向こうにある。
やまと地方の支配者層にとっては 西の出雲吉備 南の熊野は忌々しい。

日本文化は「死の国について」あれこれ熟成させる前に大陸文化が流入。
結論として「死の国の方角」は特に無し。


方角についての後日談
平安貴族ははたらかない。貴族的な暮らしの行き着く先は 占い立国。
方位に貴賎を定めて 鬼や悪霊を産み出し 自らを縛り付け溺れて暮らした。
それはさておき 日本神話にはゆかりの無い話。



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日本神話に2度 亡くなった人を送る場面がある。
火で焼かれて死んだイザナミ。
天原の矢で死んだワカヒコ。


殯(もがり)
人の亡骸を涼しい所に置いて お別れを言う。
当時の習慣からイザナミは洞窟に安置か。国境の山に葬る記述あり。
ワカヒコには「喪屋を立て八日八夜遊びき」との記述。

亡骸を取り巻いて 泣いたり笑ったり 騒がしくする方が好まれる。
悲しそうに重々しく振る舞うのは他教と報道向けの悪習慣。
腐りかけるまでそばに置く。数日から王家では数年。
あらためて土に埋めて 根に還る。


白衣服
日本では死した人を送る時には 白い服。衿の袷(あわせ)も皆同じ。
明治に白人から借用した黒い服は頂けない。

魂の在処
古事記に「魂」の記述は無い。日本書紀には唐式の借用から記述あり。
古事記と同時期の「万葉集」には死した人は山の中腹へ帰るとされる。

水の始まり
川は枯れる事無く流れ続ける。川の始まりを辿ると山の中頃から。
水の始まる山の中腹を 命の始まる所と考えたのでは。
ちなみに山の上の方は 人の好きにしていい場所ではなかった様な。



陰と陽
あらゆる物に唐式を当て込み 陰陽上下を付け加えた。
男が陽で女が陰で 股も陰。

母系社会
実のところ やまとは古代より明治辺りまで 女の強い母系社会である。
支配者層は 男上位を目指して制度を編むも 遣唐使の廃止により途絶する。
平安時代にも依然として母系が続く。
武士の時代になってようやく 父系社会が武家と商家の間に実現する。

かかあ天下
江戸期の江戸は世界最大の人口の都市。参勤交代で男:女=7:3くらい。
女は貴重でもあり逞しく力も強かった。男は身寄り無く死ぬるも当たり前。
はたらく庶民の言葉の男女差は今より少ない。


明治 はたらかない武家の女の言葉を基準に 対等ではない女言葉が成立。
昭和 過去の書き換えが行われ 女の立場は(つまらんので略)。

民の大部は平民。
書き残された文書は 一握りの武士が書いたもの。
書物をつなぎ合わせても 人の暮らしは見えては来ない。



古事記は古墳時代の装束。
日本書紀は唐風の装束。

絹の衣服はごく一部に広がり始めたばかり。式服には革靴。
麻の服が一般的。草蛙は無くて裸足 時々田下駄。


左と右
唐の国は支配者が代わる度 左と右のどちらが貴いかを変える。
左が貴い時に行き来が盛んになったので 古墳から大仏期は左が上位の時代。
遣唐使が廃止になって平安期 右前の日本的衣装が成立する。

右前
着物を着る時には 体の前で「右を前(さき)」に着付ける。これが右前。
古事記では「前」を「さき」と読む。「まえ」の読みがいつからかは不明。
古墳期には左を前に着付けるため史実では左前。

[二五六]
本作の衣装は全て右前。男も女も生き物も死んだ者も。



古事記と日本書紀 合わせて記紀神話。
もひとつ「万葉集」 この三つが最古の日本文学。
平仮名片仮名のない時代。 文字をものにした時代。
「源氏物語」などの平安文学までのひとかたまり。


日本書紀は国家事業 40年かけて編纂された。
完成の少し前 4ヶ月で書かれた古事記。こちらが最古の書物となる。

日本書紀
漢文風の文体で何でもかんでも唐風に整えた公文書。
明治に制度と制服を欧米式にした事をローマ字で書いた様なもの。

古事記
日本語の音の記載に心を砕いた歌謡物語。
上からの命により編纂とされるが。


再発見伝
急激に失われる様に立ち会った者だけが 見て取る事が出来る。
時は江戸期 外来学問一辺倒への疑問から国学が興る。
下って明治 欧米に習へと 片端から日本文化を刻んでくべた。
その中から「今」をせめて書き留めておこうと民俗学が興る。

日本書紀が書き上がれば やまとの神々と物語は塗り込められてしまう。
恐れを抱いたからこそ 古事記編纂の再開を進言したのではないか。
正統な歴史を編むとの名目で その実「やまとの物語」を書き綴る。
実質 古事記伝の執筆が始まるまで1052年間 忘れられた書物であった。
さらに188年程経た 今年2010年 今ここに再生への気運が高まる。
そして次の時代の書き手たちへ。




近況

2014.5.18 (日)
OMMビル
[ 稲馬屋/歴史古典 ]



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